日本最古のワイン醸造は400年前の江戸時代だった!ワインを愛し続けた藩主の物語|カーヴ(Cave) -ワインがもっと楽しくなる!日本最大級のワインのレビューサイト

豆知識

日本最古のワイン醸造は400年前の江戸時代だった!ワインを愛し続けた藩主の物語

                       
これまで、日本国内で国産ワインの醸造が本格的に行われたのは、開国後の1870年代に入ってからと考えられてきました。

1874年(1872年という説も)に、山梨県の山田宥教と詫間憲久による共同醸造場でのワイン醸造が記録されていることからも、ワイン教本はじめ、多くの「日本ワインの歴史」をテーマにした出版物でも、そのような内容が記されています。

しかし先日、熊本大学の史料調査によって日本最古のワイン醸造は、それより200年以上前の1627年であることが明らかとなりました。
                    
                    

Statue of Load Hosokawa TadatoshiStatue of Load Hosokawa Tadatoshi / x768

小倉藩藩主 細川忠利 像

                     

今から二年前、熊本大学が江戸初期頃の小倉藩(北九州市など)の藩主だった細川忠利が、家臣にワイン製造を命じた古文書が永青文庫研究センター(熊本市)で見つかり話題となりましたが、今回はその裏付けができた、という報告になります。

日本ワインが盛り上がっている今、そのルーツを探るためにも重要な発見。ここで簡単にその内容をまとめていきましょう。
                    
                     

今回わかったこと

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今回、日本最古のワイン醸造について調査・報告を行ったのは、熊本大学永青文庫研究センターの後藤典子特別研究員と稲葉継陽センター長ら。

同研究者らは、永青文庫資料などによる資料研究を行った結果、江戸時代初期の鎖国完成直前にあたる期間において、小倉藩の藩主であり、小倉藩細川家当主の細川忠利が家臣に純国産の葡萄酒(以下、ワイン)の製造を家臣に命じて製造させていたことが明らかになりました。

また今回の調査では、
「ワイン製造だけではなく、アヘンの製造も試みていたこと」
「ブドウをアルコールに漬けた混成酒ではなく、アルコール醗酵を経た、れっきとした醸造酒であったこと」
「細川家が幕府のキリシタン禁止令に配慮しながらも、舶来物を積極的に取り入れていたこと」も明らかになったと報告されています。

日本最古のワイン造りとは、一体どんなものだったのでしょうか。
                     
                    

西欧に詳しい人物が製造を担当していた?

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江戸時代を通じて広く流通した
寛永通宝が流通したのもこのころ(寛永13年<1636年>創鋳)

                 

                  
ワイン醸造ではなく、ワイン自体が日本の文献に登場したのは15世紀から16世紀で、キリスト教の宣教師や貿易商人らによって、西欧より日本に伝えられたとされています。

日本国内でワイン醸造が始まったのは、冒頭でお伝えしたように開国後の1870年代と言われていたのですが、同研究者らの研究により、それよりも200年以上さかのぼる1627年(寛永四年)だったことが明らかになりました。

報告によると、ワイン製造を命じたのは、当時の小倉藩細川家当主の細川忠利ですが、実際にワイン製造やアヘン製造を担当したのは上田太郎右衛門という人物が中心となっていたようです。

彼は忠利の家臣として御郡奉行をしていた人物の弟で、南蛮料理や薬酒づくり、南蛮時計に関する舶来の物や技術を有していたことから、細川忠利が抜粋して家臣に加えた人物だったようです。

このことから、細川忠利が当時こうした舶来の物、技術にとりわけ関心が高かったことがうかがえます。

しかし、当時は特に指南書などは無かったはずのワイン醸造の技術。一体、どのような方法で製造されていたのでしょうか?
                    
                     

大豆が酵母変わり!?

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ワインには天然酵母が付着しているため、それらを上手に利用すればワインが出来上がります。
しかし、当然天然酵母でのワイン醸造は知識、長年の勘などが必要になるため、ある意味、博打でもあります。

しかし、1879年にルイ=パスツールによって酵母がアルコール発酵に重要な役割を担っていると発見されたことで培養酵母などが誕生し、これまで不安定だったワイン醸造に革命が起きます。

今、安定した酒質でこれだけ多くのワインを楽しめるのは、ルイ=パスツールのおかげと言っても過言ではないのです。

話がずれましたが、今回報告された日本最古のアルコール製造が行われた時期は、彼が酵母とアルコール発酵のメカニズムを発見した250年ほど前。

どのようにワインを醸していたのでしょうか?

まず、使用されていた主材料は「がらみ」という山ぶどうの一種。しかし、山ぶどうといえば酸が強く糖分が低いブドウですので、これだけで醗酵させるのは困難です。

糖分が少ないがらみの醗酵を助けるため、材料としてほかに「黒大豆」が使用されていたことも今回わかったようです。

黒大豆の酵母を添加させることで、醗酵を助けていたと示唆されています。

このことからも、アルコールにブドウを漬けた混成酒ではなく、正真正銘ブドウからアルコール発酵を行ったワイン(醸造酒)であることがわかりました。

日本最古のワイン醸造、というところはもちろん、黒大豆をワインに使用するという発想にも驚きました。
                    
                    

細川忠利のワインに対する熱意

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細川忠利がワイン製造を命じ、それに応えた上田太郎右衛門ら。同研究者らによると、確実に製造されていたのは、1627年から1630年の僅か4年間。

しかし、今研究で細川忠利自身、大変ワインを愛していた、ということもわかりました。

まず、1623年には細川忠利が長崎でワインを買い付けるよう命じている書状が残されており、1625年になると甘い味わいのワインが欲しい、と味わいを指定して命じるまでになっています。

そして、ワイン醸造をやめた後の1631年には、「薬用に上質の葡萄酒2升を調達するように」という指示があるなど鎖国令完成の前年1639年までワインの注文を続けたと言います。
                   
                   

ワインを愛し続けた男の物語…

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ワインに大変な愛情を注いでいた細川忠利。なぜ、ワイン醸造をやめ、ワイン輸入もやめてしまったのでしょうか。

1638年、信濃松代藩主であった真田信之もワインを好んでいたようで、細川忠利の子である光尚を通じてワインを所望していたようです。しかし、細川忠利は「長崎に問い合わせたが、ワインはキリシタンを勧める時に必要な酒であるため、心配して一切売買がない」と返答したといいます。

当時、「ワインはご禁制のキリシタンの飲み物」という認識が諸大名や商人の間にあったということがわかるやり取りです。

同研究者によると、細川忠利が1639年、江戸に参勤で赴くにあたり後からワインを送ってほしいと指示し、長崎商人へ注文を入れた記述を最後に、ワインに関する記述は途絶えていると報告されています。

病気だった細川忠利にとって、薬としてワインの価値はとても高かったとされています。しかし、幕府に対する忠臣として名高い模範的な大名だったという一面から、ご禁制のキリシタンの飲み物であるワインの輸入や製造を続けるわけにはいきませんでした。

日本最古の国産ワイン醸造の時期がわかったと同時に、ワインという醸造酒を愛し続けた一人の男の物語があったことも、明らかになったのです。
                       
                       

きっと味わいにも感銘を受けていた、と思いたい

               
今回の資料調査報告で、細川忠利のワインへの情熱が特に感じられたエピソードが、1638年の島原の乱についてです。

細川忠利は病を得ながらも島原の乱に出陣していたのですが、そんな時でさえも熊本から陣中まで「薬用」としてですが、家臣にワインを運ばせていたのだと言います。

もちろん、当時のワインは薬としての価値が高かったことは間違いないでしょう。しかし、きっと細川忠利はワインの「味」にも感銘を受けていたはずです…というか、そう思いたいです。

今回、熊本大学永青文庫研究センターの資料調査で、日本最古のワイン醸造は江戸初期の九州小倉藩だった、ということが明らかになりました。

日本にも、さまざまなワインの歴史があります。ぜひ、興味がある方は日本ワインの歴史について、深堀してみてはいかがでしょうか?


【ご参考】

・200年前の国産ワイン醸造の詳細が明らかに-熊本大学
                
                 

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